【大阪府委託】リレーエッセイ 令和7(2025)年度 第2回 近畿大学 人権問題研究所 特任主任教授 北口末廣さん

…令和7(2025)年度 第2回…
今、改めて振り返る部落問題への取組み
   ~法と人々の意識の変化を背景に

 北口末廣さん
 近畿大学 人権問題研究所 特任主任教授
 

部落差別の存在と「国の責務」を認めた「同対審」答申

 2025年は「同和対策審議会答申(「同対審」答申)」が出されて60年、『部落地名総鑑』事件から50年、そして「大阪府部落差別事象に係る調査等の規制等に関する条例」制定から40年と、部落問題にとっては節目が重なる年です。どんな取組みがなされ、現在はどのような状況を迎えているのかをお話ししたいと思います。
 「同和問題の早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である」と謳(うた)った「同対審」答申は戦後の部落解放運動や行政の部落問題への取組みの礎ともなりました。答申では部落差別をこう定義しています。
「部落差別は市民的権利、自由の侵害にほかならない。市民的権利、自由とは職業選択の自由、教育の機会均等を保障される権利、居住及び移転の自由、結婚の自由などであり、これらの権利と自由が同和地区住民に対しては完全に保障されていないことが差別なのである」
 さらに、こう続きます。
「これらの市民的権利と自由のうち、職業選択の自由、すなわち就職の機会均等が完全に保障されていないことが特に重大である」
 仕事は人間的尊厳の基盤あるいは誇りの基盤です。経済的不安定は生活や教育の低位性となり、差別は再生産します。ここを明確に指摘した「同対審」答申の意義は極めて大きいと言えます。

同和対策から一般施策への広がり

 「同対審」答申を受け、1969年に同和対策事業に限定した「同和対策事業特別措置法」が10年間の時限立法として制定されました。長年の差別が10年で解消できるはずもなく、延長や改正を繰り返した後、2002年3月に法律の期限切れを迎えました。
 この間、当事者たちはもちろん部落差別の解消に取組みましたが、それだけではありません。障がい者や在日コリアンなど、差別を受け、弱い立場に追いやられた人たちと連帯し、共に差別と闘ってきました。特別措置そのものは同和地区に限定されましたが、その取組みが一般施策となり弱い立場に追いやられた人への支援にもつながっていったものがあります。たとえば高知県の被差別部落から始まった義務教育の教科書無償運動は全国に広がり、結果的に一般施策となりました。また、給付型の奨学金も特別措置として同和地区限定でしたが、現在は全国的に広がっています。同和地区という枠を超え、すべての人が憲法で保障された市民的権利と自由を享受できる社会をめざしてきたことの結果だと思います。

初めて「部落差別」という文言が入った条例

 反差別、人権尊重の取組みが進むなか、1975年に『部落地名総鑑』事件が発覚します。「同対審」答申とは逆行した就職差別が多くの企業によってなされていた事実に、当時19歳だった私は強い衝撃を受けました。その後、部落解放同盟大阪府連でこの事件を担当することになります。『部落地名総鑑』を購入した企業と向き合い、面談を重ねるなかで差別意識の根深さをつくづく実感し、法の必要性を強く感じました。
 国際法の学者であり実務家でもあるオスカー・シャクターは「法は人の行為を変え、行為は人の態度を変える。さらに心を変える」と述べています。「啓発だけでは地名総鑑を規制できない」と大阪府に提起し、集中的な審議を経て「大阪府部落差別事象に係る調査等の規制等に関する条例」が成立したのが1985年でした。画期的だったのは、「部落差別」という文言が初めて入った条例となったことです。異議はありましたが、人々の行為や態度、心を変えるには内容を明確に知らせる名称が重要だと確信していたので、強い意思で議論に臨んだことを今も覚えています。実際、ある調査業の人は「条例を理由に部落差別に基づく身元調査の依頼を断っている。身元調査は激減している」と話してくれました。逆に違法なことをするからと身元調査の値段が上がり、それでも調べて欲しいと依頼する人がいるとも聞きました。これも差別の現実です。
 この条例を始め、大阪府が果たしてきた取組みは、その他の都道府県に極めて良い影響を与えました。都道府県ができることはある程度限定されますが、大阪府の極めて積極的な取組みは意義あることだと思います。大阪府は、一般施策を活用し、改革し、創設してきました。

差別の「現在」を踏まえ、官民で力合わせて

 この条例は対象を調査業のみに限定し、身元調査や『部落地名総鑑』をつくらないことを義務付けていますが、基本は啓発です。啓発、自主規制、行政指導、行政規制という段階を経て行政罰となります。非常に「ソフト」な条例だと言えます。差別を明確に禁止する法律が必要だと考えていますが、差別を犯罪とする場合、何をもって犯罪と認定するかという「犯罪構成要件」を明確にする必要があり、法律家としては難しさを感じるところです。
 一方、SNSが普及し、差別の手段として悪用されています。『部落地名総鑑』の電子版も発覚しました。差別の手段ばかりが高度化するように思えますが、そうではありません。1936年に政府団体が全国の被差別部落を調査した報告書『全国部落調査』がウェブサイトで販売された事件があり、その裁判の控訴審判決が2023年6月、東京高裁によって出されました。このなかに「人格権に基づく法的救済」を記述した部分があります。
 「人は誰しも、不当な差別を受けることなく、人間としての尊厳を保ちつつ平穏な生活を送ることができる人格的な利益を有するのであって、これは法的に保護された利益であるというべきである」
 端的に言えば「差別されない権利」を明確に認めた画期的な判決です。この判決が重要な法的指針である「判例」となった異議は極めて大きいと言えます。判決の背景には社会や人々の意識の変化があるという事実も重要です。
 20世紀の部落差別の「現実」と、21世紀の部落差別の「現実」は違います。SNSや生成AIなどインターネット上が中心である今の部落差別の「現実」を踏まえて、人権行政として何ができるかを考え、明確な方針を立てていく必要があります。「新たな差別を撤廃する」という大目的のための行政施策を創っていくことが必要であり、官民それぞれの力を合わせてできることは、まだまだあると思います。

【令和7(2025)年10月掲載】