【大阪府委託】リレーエッセイ 令和6(2024)年度 第4回 Children’s Views & Voices 副代表 中村みどりさん
…令和6(2024)年度 第4回…
社会的養護の観点から考える、
「子どもを中心とした社会」とは

中村みどりさん
(Children’s Views & Voices 副代表)
子どもの基本的人権の保障等を基本理念とした「こども基本法」
2023年4月に「こども基本法」が施行されました。養育、教育、保健、医療、福祉の分野をはじめ「子どもを中心とした社会」をつくること、段階に応じた支援を切れ目なくおこなうことや養育環境の整備、子どもの意見表明や参加の権利保障を謳(うた)っています。1994年に日本が批准した「子どもの権利条約」に則り、18歳未満の子どもを「権利をもつ主体」とも位置づけ、子どもに関する政策を決める際、子どもの意見を聴くことを国や行政に求めた画期的な法律だと言えます。
養育に困難を抱える家庭や子どもへの支援を児童養護施設や里親などによって社会的に行う社会的養護に大きく関わる法律としては「児童福祉法(1947年施行)」があります。さまざまな形での児童虐待死亡事案の発生に伴い、改正を重ねてきました。2022年の改正では、児童虐待を予防するために親子へのサポートを手厚くするという内容が盛り込まれました。虐待発生後の対応だけでなく、予防を視野に入れた支援が謳(うた)われた意義は大きいと思います。
社会的養護における意見表明権の意味と、「こども基本法」に期待するもの
「子どもの権利条約」の第12条に、意見を聴かれる権利と、意見を言っていい権利とがあります。しかし、日本では大人は聴かれるのに、子どもには聴かれないことが当たり前にされています。
特に社会的養護の子どもたちは殆ど意見を聴かれずに、大人たちが決めて、今まで行っていた学校に行けなくなり、友達と離され、知らない場所に連れて行かれるなど、子どもたちの思いとは違うところで引き離されていることが、これまでは多くありました。それが当たり前にされてきたことから、子どもの意見を表明する権利や聴かれる権利というのは凄く大切なことだと思います。一人の人間として、しっかり関わる、しっかり意見を聴くということが、本当は社会的養護の子どもだけでなく、全ての子どもたちに権利の保障がされるといいなと思います。
「こども基本法」によって、子どもの声を聴かないといけない、それが凄く大切なのであるといった社会が醸成されつつあります。子どもの最善の利益を決めるのは大人であるため、子どもは自分で決める機会を得ることがなかったが、決定するときにちゃんと子どもの声を聴きましょうとなりました。子どもの人生であるのに、子どもが置き去りにされてきましたが、基本法ができたことで、子どもが自分の人生に参加するという一つの方法になるのではないかと思います。そして、子どもに意見を聴かれてこなかった、言えなかったことが、子どもの意見を聴かれる、言えるとなったことが強みになったのではないかと凄く期待されており、日本にとって大きいと思っています。
施設養育から家庭養育へという流れ
親子が離れて暮らす理由の大半は児童虐待です。親元を離れた子どもは施設や里親家庭で暮らしますが、虐待によって傷ついた子どもは様々なサポートを必要としています。また、親と離れることで子どもは精神的に大きな不安を抱えます。虐待のリスクを見極めながら、「親子分離ありき」ではなく、まずは親子を支援するという流れになってきました。分離が避けられない場合は、特別養子縁組や里親家庭による「家庭養育」、それが難しい場合は施設養育というように、より家庭に近い環境での養育が重視されるようになってきました。現在、社会的養護を受けている子どものうち、施設で暮らす子どもが8割、里親家庭で暮らす子どもは2割です(全国平均)が、国の方向転換に伴って徐々に里親養育が増えています。
養育里親を希望する人も増え、多様化も進んでいます。養育里親の多くは共働きで、保育園や幼稚園など社会資源を使われている家庭も少なくありません。
他者をより理解するための対話と熟慮を
ただ、社会的養護の元で暮らす子どもに対する偏見は根強くあります。まず、「家族とは血縁で結ばれている関係」というイメージを持つ人が多くいます。苗字が違うと不審がられたり、施設で暮らす子どもが同級生に「おまえってかわいそうなんやなあ」「何か悪いことをしたのか」と言われたという話は珍しくありません。
こうしたことは、無知により人を傷つける行為です。児童虐待という言葉を知らない人はほとんどいないと思いますが、社会的養護や里親制度について知っている人は本当に少ないと感じます。
私は、乳児院や児童養護施設すなわち社会的養護で18歳まで育ちました。高校時代、児童養護施設で暮らす若者や経験者の居場所とつながりのきっかけづくりを目的に、仲間たちとCVV(Children‘s Views & Voices)という任意団体を立ち上げました。CVVで大学で福祉や心理を学ぶ先輩たちと出会ったのがきっかけで社会福祉を学びました。今は、社会的養護の元で子どもを対象にアドボカシー(権利擁護)やワークショップを実施しています。
私自身も「年末年始は実家に帰るの?」と訊かれて「いえ、施設で育ったので、実家ってないんですよね」と答えたら、「あっ…ごめん」と言われてお互いに気まずい思いをしたことがありました。事実を言ったまでで謝ってほしいわけではないのに、施設で育ったことがとてもネガティブに捉えられてしまうのが今の日本社会の理解です。「差別はダメ」という視点だけでなく、「他者をより理解する」ための対話や熟慮が必要だと考えています。
社会的養護経験者が生きやすい社会のために
「施設に子どもを預けるなんて」と批判的なまなざしも根強く、親子の無理心中も日本独特の風潮です。しんどい時は人に頼っていいし、施設や里親はともに子育てをする役割を担っているチームの一員なんだという肯定的な情報やメッセージを発信するのが国や行政の責任だと思います。子どもを虐待してしまう前に制度を使ってひと息ついて、元気を取り戻したらまた親子一緒に暮らすというように、社会的養護のあり方自体をもっと柔軟で誰もが利用しやすい形にしていくことで、大人も子どもも生きやすくなるのではないでしょうか。社会的養護は「かわいそうな子ども」のためのものではありません。
もう一点、社会的養護のもとで暮らす子どもについて重要だと思うのが「育ちをつなぐ」という視点です。すべての子どもは、親だけに限らずその時々にさまざまな人と関わりながら育ちます。そして多くの人に見守られて育ったことを知ることは、自尊心や自己肯定感につながります。写真や絵や工作、成績や成長発達などの記録、そして成長を見守った人にアクセスできることが必要で大切だと考えています。
そうした仕組みがない現状で、大人になってから当事者自身が自分のルーツを探すのはとても大変です。社会的養護で育っている子どもと関わる大人たちが、その子の記録や思い出を保存するという視点をもって関わってくれるといいなと思います。